曽 鯨(そ げい、Zheng Jing、嘉靖43年(1564年) - 順治4年(1647年))は、明代後期の画家。字は波臣。興化府莆田県の出身。人生の大半を金陵一帯(南京)で暮らす。
略伝
肖像画家として福建・浙江・江蘇一帯で活躍した。
西洋画の陰影法などを取り込み、肖像画を画いた。「鏡に映したように人物の精神を写し取る」(原文:「如鏡取影、妙得神情」)と称される。
一枚の肖像画を画くのに十数回も隈取り(烘染法)を重ね技巧の粋を尽くしたという。
その画風は一世を風靡し多くの門人が学んだ。この一派を波臣派と称した。明末清初の肖像画はこの波臣派と江南派の2派に分類される。
晩年は南京郊外の牛首山にて過ごす。視力が低下し細かいものが見えなくなった。享年84。
弟子の張琦作「費隠通容像」は隠元隆琦によって日本にもたらされ、黄檗画の頂相の原点となった。
波臣派
脚注
出典
- 西上実「黄檗の美術とその源流」(図録「黄檗の美術 江戸時代の文化を変えたもの」1993年、京都国立博物館)所載
- 梁白泉主編『中国肖像画選集』南京博物院




